はがねのようせい

う~ん。私のそばには妖精がいて。

妖精がいない町 その1

妖精がいない朝。

まったく、私はバスに乗る。

 

朝。

マンションのドアを開けると、曇った空が私の水平に置いた目線の先に降りてきていました。

町に靄がかかっているのです。

そんな天気に私は落ち着く。

晴天よりもいわゆる曇天が好き。

隠された太陽の静かな光が雲と一緒に、「ほらほら、何事も無理をしなくていいんだよ」と、こっちを見ないで言っている。

そんな気がするから。

 

人と会う用事が少しあり、私は隣の町まで行くつもりなのです。バスに乗って。

自分の車で行こうと、最初は思っていたのですが、時間が有り余っている私は、軽自動車のガソリンがもったいなくて、もう何年も乗っていないバスで行くことにしました。

バス代の方が高くつくかな、とも思ってみたのですが、バスに乗るということを思い着いた私はその考えに憑かれてしまっていたのでした。

小学校の時、初めて一人で駅前の本屋さんに行った時の気分。

自由に好きな本の前にいられる事に輝かしい未来を感じたあの気分。

誰もいないバス停に着き、時刻表を確かめる。あと十数分待たなければ。

佇む私は、この平日の昼間を行きかう多くの車を目の前にして、先ほどまでの気分を放り捨ててしまっています。

時間が有り余っているとは言ってみたものの、その使い方は無駄遣いなのではないか、などと。

ひとりの時間が長すぎると、私は自分を追い込む様な事を自身に聞かせてしまう。

 

鋼の妖精のハーさんが見たら、また軽蔑の目で私を見るだろうな。

 

ほぼ時刻表通りにノソノソとやって来たのは、なんだか少し時代遅れのバスでした。

十分に座れる余地のあるその古いバスに乗り込むと、私は一番後ろの席に座り込み、外を眺めます。

私の目に、いつもの近所の風景が、バスの黄みがかったガラス窓を通してフイルムのように映りこむ。

目的の停留所までは30分ぐらいでしょう。

私は続きでハーさんの事を考えている。

 

はがねのようせい。

人間が飽きたから、妖精に戻ったヒト。

私の見るハーさんの顔は靄がかかっているように見えて、今もそれがどんな顔立ちなのかよく分からない。

顔立ちと同じように、ハーさんの素性もはっきりわからない。

なぜ私の傍にいるのか、それがいつからなのか。

ハーさんの生い立ちはいったいどんなものなのだろう。

考えてみると、そういった細かいことを、私はハーさんにあまり聞いたことが無いのです。

ハーさんを目の前にすると、そんな事は頭の中から消えてしまう。

でもこうやって一人この古い形のバスに揺られていると、ハーさんの不思議がいろいろ胸に浮かんでくる。

なんだか、このバスの匂いが懐かしいものだからかもしれません。

 

大きな病院の前の停留所で、何人かの人々が降り、その倍ぐらいの人々が乗ってきました。

やっぱり、病院の人は静かなセピア色。

私の先入観だけれど、やはりそんな風に見えてしまうのです。

ああ、好きな色だ。

はかない優しさだって。幸せじゃないか。

私は自分勝手にそんな事を考える。

もしハーさんにそんなことを言えば、ハーさんはきっと「何だよそれ。そう思う自分が格好いいとでも思ってんだろ」とか言うんだろうな。

ハーさんが言うであろうその言葉を考えて、私はこの固いバスの座席に沈み込んでしまいます。

 

ハーさんの言う事はいつもたいていムカつくのです。

私の怒りの鱗は、きっとデリケートなものだと思うのだけれど、ハーさんはそこのところを、両手で不躾にザワザワと逆なでする。

でもそれは何故かそんなに不快ではないから、不思議です。

うーん、変なものになれてしまったものだ。

流れていく景色はもはや賑やかな街並みなっていて、気付いた私は少し背伸びをする。

そのシーンは、もはやフイルムの様ではなく、きめ細かいリアルなものに変わっているのでした。

目的の停車場に着き、バスを降りると、ビルが隣り合うこの街には、太陽が照っている。

目的地には少し歩かなくてはなりません。

 

今日はハーさんに会っていないのです。

家には居なかったな。どこか遠くでタバコでも吸っているのかな。

歩きながらそんな事を考えていると、待ち合わせの人と会う約束のカフェがあと数十メートル先にせまってきました。

私の足は予定通りに重くなる。

立ち止まり、きっと長い時間になるだろう、と思うのです。

イヤだな。

きっとその人の持ってくる話は私には気に入らないはずです。そう、仕事の話。

何の興味もない仕事の話。

社会で言う勤労という事をしていない私に持ってきてくれる話はきっとありがたいことなのだろうけれども、私には「ありがとう」の文字が浮かんでこない。

ちゃんと断れるだろうか。相手の目を見る自信は、私にはありません。

きっと先方の言うなりになってしまうのではないだろうか。

私は立ち止まっている。

 

踵を返したい私は、約束をしたことを後悔しています。

なぜ電話で断れなかったんだろう、と。

でも約束を破る事に罪悪感のある私はあのカフェに行かなければならない。

そうでないときっとまた、違う後悔に際悩まされることになるんだ。

トゲの道なのに先に進まなければいけないなんて。

 

一歩足を踏み出す前に私の頭はこう言いました。

コーヒーを飲もう。熱いコーヒーを。

コーヒーを飲みにあのカフェに行くんだ。

あ、それで、プリンがあったらついでにそれも注文しよう。

そして、それがいかにおいしかったかをハーさんに言ってやろう

そんな考えで勇気を付けて、私はカフェの扉を開けたのです。

 

 

◎お読みいただきありがとうございました。続きます。