はがねのようせい

う~ん。私のそばには妖精がいて。

松姫みつけた

「あのさー、猫がいるんだよー」

私はちょっと大きめの声で言った。

 

予想以上に午後の日差しは暖かかったから、帰るとすぐ玄関で惰性で羽織っていったダッフルコートをグズグズと脱いだ。「あちー」と呻く。そして奥のリビングにいるであろうハーさんにそう言葉を投げかけたのだ。

答えは無かった。ピーナッツの入っていない柿の種、見つけて買ってきたのに。

 

「くだったぁー。ゲリィー」

リビングで座布団を二枚敷いたパイプ椅子に戻ってハーさんはうなだれた。身体の肉付きが薄いから座布団一枚では普段の生活、お尻が痛いのだ。

溜息をつき、トイレに30分ぐらい居た、とのたまう。

私は床に座り込み柿の種をポリポリ。物足りない。

「やっぱピーナッツがないとねぇ……」

「そうか。昨日ピーナツ食べたからか」

「何言ってんだか。あんたあたしに残したじゃん」

「2,3粒食べたもん」

「そんなんでゲリするかぁ?」

私には認識出来ない、その見えないハーさんの顔は何だか非常に困り顔だった。見えなくても分かるんだよなぁ。

あ、そうか。それは認識できるという事か。うんうん……。などと考えていると、口の中が辛くなってきた。

「こんなのばっかり食べらんないよ、ピーナツ無いと。あーあ、ハーさんが食べるから買って来たのに」

「うーん。そうか。食う。食う。ちょうだい」

「だめ。あとで。下痢止め、薬、あったと思う」

探しにキッチンへ立った。

「その猫、見に行こうよ」

今、思っていた言葉が私の背中に投げかけられた。

 

「マニャマニャマニャマニャ……」

さっき歩いて来たマンションに続く小川に沿った細い道を、そう声を出しながら歩く。視線を道端に落として。

「名前はマニャって言うの?」

後ろをついて来るハーさんが、自分も「マニャマニャ」と藪の下に声をかけながら聞いた。

「んー。名前まだないよ」

そう答えて、その猫が初めて私の前に、まだまだ刺々しいツツジの茂みから飛び出して来た三日前の事を教えた。20メートルくらいついてきて、(つれてってくれないんだぁ)と諦め、座り込み、見送ってくれた事を。『まお~ん、まおーん』という鳴き声が、姿を見せてくれる前に聞こえた事も。

「そうなんだぁ……。『まお~ん』の『ま』をとってマニャマニャか」

「うん、そうだね」

知らず知らずに口にしていた「マニャマニャ」の意味が分かったような気がした。

 

流れてゆく小川のせせらぎの合間に小さい声が聞こえた。

二人は立ち止まる。首を回して声を探した。

「まおーん」

小さい声が素早く駆けてきた。それはハーさんをの足元を通り過ぎ、私の足にじゃれついた。

マーニャァ、いたのぉー」

茶色いキジ虎のその子を私は抱きあげる。

「ほら、お兄さん連れてきたよ。やさしくしてくれるよ」

ハーさんを見ると両手を差し出してワナワナしてる。『抱かせてぇ抱かせてぇ』と言っているのだ。口で言え。口で。

マーニャァ~」

ハーさんが甘えた声を出した。その子を抱いて歩きだす。

 

「連れ回してテリトリーから離れてしまうとこの子困るよなぁ」

ハーさんは、ぎゅっと抱きしめたまま、川のほとりに腰掛けた。

「困るね。……昨日の夜もいたの。ご飯食べてるのかなぁ」

私は解決できない心配をしている。

「太ってるからな」

その子はお腹を触ってもへっちゃらだった。

「野良じゃないよね」

「きっと飼い猫だったんだろう。この辺にはいなかったから」

その答えは分からなかった。

だからハーさんの腕の中に聞いた。

「どこから来たんですか?」

腕の中が「ニャー」と答えた。

小川のほとりに二人と一匹。

ハーさんとこの小川のほとりに並んで腰掛けるのはいつ以来だろう。

つっかけてきたペッタンコのパンプス。

パンプスで足元の小石を挟んで落として、時が流れるのを感じる。落ちた小石の先、去年の秋に転がった松ボックリが見えた。

「夜見るとね、この子松ボックリみたいだよ」

私がそう呟くと、ハーさんが「この子は女の子だよ」と教えてくれた。そして、その女の子の名前は『松姫』に決まった。

 

ハーさんが松姫を土の上におろした。

私達は歩きだす。マーニャの松姫はついて来た。一生懸命ついて来た。時々「まおーん」と鳴きながら。ハーさん振り返り「ニャーニャ」と声をかける。私が「またね」と先を行く。

マンションの10メートルくらい手前でマーニャは足を止める。二人の足は止まらない。でも私はやっぱり振り返るんだ。松姫マーニャは見つめていてくれた。

「またね。また会おうね」

ハーさんが言った。

 

ハーさんはゲリピーなので、夕食はパンがいいと言った。なぜゲリピーだとパンなのかよく分からなかったけれど、昨日買ったカレーパンとチョコとクリームの2色パンを食べる。

「エサ、誰かにもらえるといいね」

ハーさんが猫特集のテレビを見ながら言った。

私はパンだけでは足りないのでカップのきつねうどんをすすりながら、

「大丈夫だよ」と答えた。

 

ハーさんは自分の所へ引っ込んで私は布団に潜る。

あの子の事を考えた。暖かくなった。それだけでは済まず、苦しいことも頭に浮かぶ。

マンションでは飼えない事。以前見かけたカモにむやみにパン屑を投げ散らしていたお爺さんに嫌悪感を覚えた事。

それでもあの子の、マーニャの甘えた声が耳に残っていた。頭を撫でてあげた時の私の幸せな気持ち。それ以上何にも出来ない悲しい気持ち。恋をした少女みたいだな……なんて思った。

愛と哀しみは似ているんだ。もしかして……同じなのかもしれない……。

マーニャ、松姫……またね。……また会おうね……。

胸の上で手を合わせ、私は眠りについた。

 

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